失敗に対する不寛容さ

2017-10-18

失敗に対する、不寛容さというものが、文化として根付いているのはやはりあるように思います。

想像してみてください。誰かが仕事で失敗したとします。周りの人は、とりわけ上司などは、どのように反応するでしょうか。あるいはあなたは。

まず考えるのは、彼がその仕事に失敗したのはなぜかということです。ここまではいいです。しかし、次にはもう、彼はなぜこれほど不注意なのかと考えています。だから彼にこう詰めます。

「こうするべきだったでしょう、気がつかなかったんですか?」

こう口にした時には すでにメンタルモデルができあがっています。「彼が失敗するほど不注意なのはやる気がないからである」というメンタルモデルです。これによって時間とエネルギーを省いた結果、失敗を見るや否やそう結論づけるでしょう。

実際のところ、僕もそうでした。彼は不注意であるとか、彼にはやる気がないという頭で理屈を立てていたように思います。これでは思考していないのと同じです。後づけの論理は慰め でしかありません。

ああ、怖い。考えているつもりで考えていないことがある。なまじ理屈だけは立てることができるから、そのことに気がつくのも難しい。

正しいことを正しく思考するには、自分の正しいをいかに疑うことができるか が鍵になるように思います。