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「考えすぎ」を直したい!行きすぎた思考を止める3つの問いかけ

技術や思考やメンタル、ソフトウェアエンジニアが考えるブログ

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ついつい考え込んでしまって、ぐるぐるぐるぐる。気がつくと、ううん、気がつかないまま、誰かとの会話を妄想してしまうことがあります。「この場合あいつはこのように言ってくるだろうからこうやって言い返してやろう」とか、「このままだとあんなことを言われてしまうんじゃないか」とか。そうしていない時がないんじゃないかとすら思えてきます。

妄想をしている時、言い返してやろうと”考えている”というよりはもう”言っている”という方が正確なのかもしれません。考えてしまっていることを忘れて、意識は妄想の中に潜ってしまっています。だから現実との区別がついていません。頭の中で実現して、心は妄想を実感します。そんなふうにして精神をすり減らすことがあります。

心や感情、考え方に関する書籍やネットの記事を読んでは、自分の思考を振り返ってみたり、思考を変えてみようとしてみたりしました。しかしながら、このような思考をいきなり改善することはできないでいます。それはそうなのかもしれません。そして、それがまた焦りを生みます。気持ちが動揺するからまた余計なことを考えてしまいます。

だめだめ。そうじゃない。この動揺と思考は無価値なものです。ならば、今自分にできることと言ったらこれしかないだろうと思い立ちました。

考えるのをやめる

考えるのをやめる、それができたら苦労はしません。そう、考えてしまうから苦労しているのです。ほら、でもやっぱり、考えるのをやめてしまえば苦労はしないということです。とにかく、この苦労が思考の癖によるものならば、なんとかできるはず。そうしなければクタクタになってしまいます。だから、考えなくていいことは考えるべきではないのです。

そうこう足掻いているうちに、意識が妄想の中に潜っていくことをある程度は自覚できるようになってきました。自覚することができれば止めることだってできます。そこで、起こってしまった妄想を加速させないようにするにはどうしたらいいかを”考える”ようにしました。

自分で答えを出すことができないようなことは考えなくてもいいことです。答えを出すことができないのだから終わりがありません。終わりがなければ疲弊しつづけてしまいます。意識が妄想の中に潜っていきそうな時、自分で答えを出すことができるかどうかについて、次の3つのことを自分に問いかけてみることにしました。

一、自分で決められることか

「このままでいいのだろうか、この立場はいつまで続くだろう」「飛び出してはみたが、これで本当にやっていけるのだろうか」未来のことを考えると骨折り損をします。いろんな人がいろんな立場でいろんなことを言います。そのどれもが正論なのだと思います、ただし、それぞれの立場においては、です。

たとえば10年前に、10年後、今現在のありようをを正しく言い当てることができたでしょうか。できなかったと思います。同じことで、今現在に、10年後のことを正しく言い当てることなどできはしないのです。仮にできたとして、できたのなら、それ以上考える必要はありませんよね。啓示に従えばいい。そうできないのは、言葉をめぐらせているだけだからです。

一、自分で変えられることか

「こんなことなら、あのときああしておけばよかった」「あのとき、別の選択をしたらもっと違っていたかもしれない」過去のことをifで考えるときりがありません。あのときにしなかった別のありようは無限にあります。しかし、そのどれもが仮定のことで、現実のことではありません。

目に見えて選択を間違えたということはあるかもしれません。こうするべきだったと。しかし、そのことにどれだけ言葉をめぐらせても、過ぎたことをなかったことにはできません。また、なかったことをあったことにもできません。あるのはその過去をもった今現在だけだからです。

一、自分のことか

「思っていることを言ったら怒られるのだろうな」「なぜあんなことを言ってきたのだろう、印象を悪くしてしまったのだろうか」他人のことを考えると不安になります。他人のことを考えたところで、その人の出方に影響を与えることはできません。結局、他人の出方は他人のさじ加減でしかありません。

アドラーは、すべての悩みは人間関係の悩みだと言っています。そしてこの悩みの正体というのは、人間関係について言葉をめぐらせることによって、自分の中で起こっていることのように思えます。あなた(私)の言葉がつくり出した他人が、あなた(私)を悩ませているのです。

最後に

考え込んでしまっている時は、暴走気味なところがあります。そんな時の言葉で表現する世界は残酷です。そしてもっともらしいのです。なぜなら現に、そのせいで考え込んでしまっているからです。しかし、行き着きたいのはそのように世界を言葉で表現することではなくて、心が穏やかであることです。であれば、暴走してしまいそうな時、意識のフォーカスは妄想の言葉ではなく、自分の心へ向けてあげるのがいいように思います。

福地春喜

思考を思考することが好きなソフトウェアエンジニア。