2021-01-11

チームのリーダーになる

前職ではチームのリーダーをしていました。業務委託としてシステム開発に参画し、実質的にリーダーのような役割りを担うようになりました。そのまま社員になり、形式的にもリーダーの立場をやることになりました。

仕事としてチームを「リード」するだけでなく、立場としてチームの「リーダー」であることも同時に求められる。そんなことを感じた体験のお話です。

チームのリーダーになる

チームのリーダーになる前はそのチームをリードしていました。私は社員ではなく業務委託者でした。そういうポジションではなかったわけです。

立場はどうであれ私はシステム開発を推進することを考えていました。システム開発をするのに社員とそうでない者の立場に意味はありません。自分が携わる以上その開発がうまくいかないことは不本意です。ですから、口を出すことに遠慮はしませんでした。

人が少ないうちはそれで問題ありませんでしたが、チームのメンバー、とりわけ社員が増えると事情が変わります。業務委託者が社員に指示する関係がよしとされなくなりました。システム開発をするのにその関係の制限は意味がありませんが、感情的な抵抗感をもつことは想像できます。

社員になる誘いはそれまで何度もありました。その度に断わりましたが、最終的には根負けして社員になりました。これでチームをリードしやすくなるだろうとは考えました。チームを作ってみたい想いもありました。

SESをやる会社にいたときにその想いが湧きました。強いチームをやりたい。あの人やこの人とチームを作って、社内で模範になるチームをやってみたい。その会社をやめる少し前、上司にそう話したことを思い出します。しかしその想いは叶いませんでした。SESというビジネスを考えれば、強い人は分散させた方がよいです。強い人と若手を一緒にして現場に送り込む。若手には経験と実績を付与していかなければなりません。そうやって常駐先に排出できるリソースを作る。それは理解できました。

そんなことを思い出して社員になることについて自分を納得させました。こうしてチームのリーダーをやることになりました。

リモートワークがチームのメンバーを信じることを教えてくれた

システム開発を推進するのに立場は関係ありません。チームのリーダーになったところでやることは変わらない。既にチームをリードしていました。ポジションは後からついてきたものです。何も変わることはない。そう思っていました。しばらくは特に何も変えることなく開発をこなしました。

転機になったのはリモートワークです。私はもともとリモートワークに反対でした。家で仕事ができるはずがない。割と古いタイプの考え方をする方だという自覚はあります。週1でリモートワークできるようにしようという動きも頭ごなしに止めました。

準備はしていませんでした。想像もしていませんでした。ところがリモートワークは突然に始まりました。

普段のなんとなくが難しいと感じられました。私はマイクロマネジメントをしてしまう方です。先回りをいつも考えます。メンバーの手が空かないように。メンバーの手が思わぬ方へ向かないように。こういうとき、不安になりやすいメンタルは役に立ちます。意識的に先回りをしなければとは考えるよりは、不安を解消するためのことが先回りになりました。

自分のやり方は常に干渉して軌道修正するものでしたが、リモートワークでそれが変わりました。変えざるを得ませんでした。口出しするのが難しい。状況も把握しづらい。監視を強化しようなどとこのとき考えなかった自分はほめてやりたいものです。これまでどおりの干渉はできないと早々に諦めました。

突然のリモートワークの始まりはむしろやるべきことをはっきりさせてくれました。お互いに状況を把握することが難しい。もしかしたらリモートワークがなくてもそうだったかもしれませんが、それがより強調されました。全体のマップ。その中の配置。そこで期待すること。それらを意識的に発信するようにしました。事あるごとに何回も同じことを述べました。

いちど言えば伝わるという傲慢さもなりました。このとき、先回りだと考えていた自分のやり方は反射行動だったように感じられました。目の前の具合を見ては捌く。人よりちょっと強く言い切ることができれば舵取りができました。状況の受け身だったのです。状況を作っていかなければならない。本当に先回りすることは大変だと実感しました。

常に今何を発信すべきかを考えました。それはみんなの成果として返ってきました。開発チームはほとんどパフォーマンスを変えませんでした。それが分かって、私はリモートワークに反対していたことを恥じました。みんなはこの事態を乗り越えることができると信じることができたわけです。

みんなの期待に応える器になる

リモートワークの最初はかなり大変でした。向かうべき方を常に発信し続けるのは本当に頭を使いました。1、2ヶ月もすると軌道に乗ったような実感がありました。これなら大丈夫。方向さえ示せばやってもらえる。むしろちょっと楽なのではないかとすら思えました。もちろんそれはメンバーに恵まれたからだろうとは思います。

それまでうまく取り組めていなかった1on1をしました。ここで求められたのはフィードバックでした。はっきりとそれが欲しいと言われてハッとしました。実は考えてもいなかったのです。自分はそういう立場にあったのかと、このとき思い直しました。

1on1でそれぞれフィードバックをしたとき、メンバーのほとんどは安堵したように見えました。みんなそのように不安を感じていたのだということ。「私はあなたのことをこう見ているよ」という言葉が安心を与えるのだということ。リーダーはそのように影響力をもったポジションであるのだということ。自分はみんなからしてみたらそういう場所に立っているのだということ。いろんな発見と感情の喚起がありました。

その影響力の大きさに驚きうろたえました。方向を示すにしても自信あり気であった方がいい。みんなを信頼していると表現し続けるのがいい。多少大げさにそれをやるべきなのかもしれない。みんながそれを期待しているのだから。そう考えるようになっていきました。

多少偉そうにそうにしてリーダーを演じてみせる。みんなの期待に応えるにはそれなりの器になる必要があります。なんだか年寄りくさい思考になったものだと自嘲しました。


それで会社を辞めることになったとき、多くの人に言ってもらえたことがあります。一緒に仕事ができてよかった。もっと一緒に仕事がしたかった。どこかでまた一緒に仕事がしたい。

なにもリーダーというポジションにある人だけが他人の意識の中にあるわけではありません。しかし、そのポジションにあったことが自覚として人の意識の中にある自分を考えるきっかけになりました。

よいチームで仕事できたことは本当に誇りに思います。そこでリーダーというポジションに立たせてもらえたことはありがたいことでした。

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福地春喜
フリーランスのソフトウェアエンジニア
情報資源管理としてのデータベース・コンテンツ設計に関心があります。数学や哲学、認知言語学など対象の捉え方に係る考え方に興味があります。システム開発の傍ら、それを推進するチームの体制やプロセス・仕組みづくりの支援もしています。 もっと詳しく