2018-09-09

フリーランスになって変わったことと変わらないもの(前編)

今、フリーランスでソフトウェアエンジニアをしています。フリーランスになったのは成り行きです。志があったわけでも、思い切りがあったわけでもありません。フリーランスが安定か不安定かという話になれば後者だと思います。が、今の状態は悪くないと思っています。

ジョブホッパーと言うほどではありませんが、結果的に職場を転々としました。と言ってもここ最近の話です。社会人2年目で最初の転職。その7年後に転職。これがおととしにあたります。後者の転職に失敗してからなんだかんだあってフリーランスに至ります。

何がどうしてこうなったか、振り返ってみました。

冠つきのメーカー子会社に就職

新卒で就職したのは冠つきのメーカー子会社です。父親が冠側のメーカーに勤めていたこともあり、名前で決めました。いくつかシステム関係の会社を回りましたが違いはよく分かりませんでした。給与は似たり寄ったりですし、どの会社も一様にウォーターフォールの説明をしていたような印象しかありません。

最初の配属は銀行システムのインフラ構築プロジェクトです。配属時点ですでにテストが始まっていました。銀行システムの開発はテストがべらぼうなので、僕はこのプロジェクトでテストしかしていません。アプリケーション開発をしたかったので配属は不本意でしたが、絶望するほどではありませんでした。しかし残業がひどくかなりしんどい思いをしました。

ずうずうしくも希望をアピールしたのが叶って、次の配属でアプリケーション開発をすることになります。ここで、社内で有名な暴君が上司になり、メンタルがこてんぱんにやられました。社風でもある残業は相変わらずひどく、心身ともに疲弊していきます。打たれ弱く、すぐに降下してしまうメンタルでしたが、しかし、壊れてしまうことはありませんでした。

中小のエンジニアリング会社に転職

パートナーとしてプロジェクトに参画していた方に誘われて、中小のエンジニアリング会社に転職します。客先常駐のSESが主体のよくあるITの会社です。僕は多重構造のない現場にアサインさせてもらえて、この会社を辞めるまでそこに居続けることができたのは幸いでした。

現場は、コンサルティング会社とタッグでシステム開発をするチームでした。コンサルタントのリーダーは猛烈に頭がよく、僕の上司にあたる部長もまた要領のよい人でした。このふたりに導かれるようにいろんな仕事をさせてもらいました。メインプログラマーをしたり、仕様の全体的なとりまとめをしたり、プロジェクトの管理をしたり、会社の管理職に就いたりしました。

この会社を辞めようと思ったのはそれなりの不満があってのことです。が、その不満は自分の慢心によるものであると今では思います。飽きてしまっていたこともあります。ひとつの現場に長くいたので、ルーチンのように仕事をこなせていました。慢心はどんどん大きくなっていき、この心のありようにまずさも感じていました。

ベンチャーのIT企業に転職

Wantedlyでいくつか会社訪問をして、ベンチャーのIT企業に転職します。プロジェクトの管理などをしていたこともあり、その時の興味はチームビルディングに向いていました。若い会社ならそういうこともできるだろうと考えました。それはそれで本当ですが、実際はただ会話の印象がよかったところを選んだだけかもしれません。

詳しいことは述べませんが、「この会社はとにかくまずい」「この会社に居続けることはできない」と思うと軽くパニックになりました。過去のつらい経験などはなんの役にも立たず、気持ちがやられるときはあっさりとやられるものだなと認識しました。前職を長く続けることができたのは、いずれ辞めるという腹づもりであったからだなとも思いました。

こときすでに32歳。もう若くもないので1年だって嫌な気持ちを我慢してその状態を続けることはできないと考えました。そこまでして守るものが経歴というのは、あまりにも束縛されすぎていると思えました。そういう訳で、あっという間にその会社を辞めて、揺さぶられてはまた辞めて、成り行きのままに今があります。

次回「フリーランスになって変わったことと変わらないもの(後編)」につづきます。

福地春喜
フリーランスのソフトウェアエンジニア
情報資源管理としてのデータベース・コンテンツ設計に関心があります。数学や哲学、認知言語学など対象の捉え方に係る考え方に興味があります。システム開発の傍ら、それを推進するチームの体制やプロセス・仕組みづくりの支援もしています。 もっと詳しく